NL随筆t308:「ら抜き語」 「ボークー」 ― 2017/01/23 16:16
★毎日新聞WebNews20170113===「ら抜き」言葉、多数派に:かつて「日本語の乱れ」の代名詞のごとく扱われてきた「ら抜き言葉」。文化庁が発表した2015年度「国語に関する世論調査」で、この「ら抜き言葉」を使う人が多数派になったという。これも世の流れということか。それとも日本語が壊れつつあるのか。「ことば」の達人に話を聞いた〔以下NL抜粋〕:日本語は常に変化の過程 金田一秀穂・杏林大教授:「ああ、変わってきたのか」とは思うが、乱れているとは思わない。そもそも「正しい日本語」など存在しない。日本語は常に変化の過程にあり、基準となるべき指標はないからだ。 僕自身は、話し言葉としての「ら抜き」は、全く気にならない。ただ、書き言葉で使われると気になる。定着度がさらに進んだと感じるからだ。スポーツバーの張り紙で「サッカー日韓戦見れます」と書いてあったら、考えてしまうに違いない。 嫌いだが使い勝手がいい 永井愛・劇作家:ら抜き言葉は使い勝手がいい。私自身「ら抜きの殺意」で初めてら抜き言葉で戯曲を書いた時は、禁を犯すような気がしたし、今でも若い登場人物のせりふを書く時、積極的にら抜き言葉を使う気にはなれないが、それでも今は、自分もついら抜き言葉を使ってしまうことがある。「来られた」「見られた」などの言葉は、尊敬と可能のどちらを表すのか判断が難しいが、「ら」を抜けば混同がなくなる。ら抜きは日本語を使う多くの人が下した合理的な判断の一つなのだろう。 その場に応じうまく使う 梶原しげる・フリーアナウンサー:ら抜き言葉は誤用といえば誤用だ。新語に強いと定評のある「三省堂国語辞典」でも、ら抜き言葉は俗語扱いである。だが、ここまで来ればもう「今後一切使うな」とはいかない。ら抜き言葉には、動詞の可能と尊敬を区別するには合理的な面もあるし、「ら」を落としたからといって、意味が誤解される可能性はほとんどない。日本語がその方向にかじを切ったのは、悪いことではないと思う。 ただ、言葉は場を選ぶ。公式晩さん会で「今日はこちらに来れてうれしく思いました」と言うのはどうだろうか。面接試験やお茶の会など公的な場面では、ら抜き言葉は控えた方がいいだろう。「できればら抜き言葉は使わない方が……」と思う===。「ら抜き」は、話しにしても文章にしても凄く違和感を覚え、学者や知識人がどう言おうが、多数だろうが少数だろうが、日常生活に於ける会話や文章は間抜けて聞こえるし歯抜けに見える。NL曰く【「ら抜き語」 会話は間抜け 文章は歯抜け:日本語】、【「ら抜き語」は 舌っ足らずに筆っ足らず:日本語】、確かに!
★NL洒落「メルシーとトーヘン」:フランス語Merci Beaucuopを日本語に翻訳すると【表記=唐変僕/意味=阿呆な僕:洒落メルシー】、いいと思います!
★t:当ブログ・カテゴリ「NLの徒然随筆」「NL名言集」など
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